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圓子家住宅 [地域探訪]

 

 圓子家住宅青森県五戸町の旧倉石村にあります。圓子氏はもともと閉伊郡千徳の領主でしたが、天正19(1591)年の「九戸の乱」で九戸政実方に加担したため、乱後 所領を没収されました。しかしその後、南部藩に召し抱えられ当初は五戸代官所の在地給人に廃されましたが、圓子種次の代に山奉行に任ぜられました。現在の建物は安政年間(1854-59年)に建てられたものですが、建築当初の玄関・式台・塀重門等 在郷武家屋敷の形態を良好に残しています。

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旧日新館 [地域探訪]

 先日、横手に行きまして、旧日新館を見てきました。旧日新館は明治35(1902)年、旧制横手中学校(現横手高校)の英語教師として赴任してきたアメリカ人チャールス・C・チャンプリンの住居として建てられたものです。

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 建物は洋館にはきわめて珍しい木造りの簡潔な住宅で、しゃれたデザイン玄関バルコニーの柱頭飾り・窓の額縁・櫛型の庇など、明治期の洋風建築の特色をよく残しています。
 旧横手中学校の
嘱託英語教師として赴任した米人宣教師は多数いますが、マルチン・M・スマイザ―は大正3ー昭和7年まで赴任し、その後は日新館を買い取って住み続け、昭和30(1955)年 八十歳で亡くなるまで伝導生活を続けました。その後、日新館はスマイザーの遺言により、お手伝いの鶴岡隆子さんに譲られ、昭和38年に姪の鶴岡功子さんに引き継がれました。現在も鶴岡家の住まいとして利用され、1階の一部を除いて水曜日に公開されております。


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忠義な猫の碑 [地域探訪]

 

 ま~~~、忠犬というのはよく聞きますが、忠猫というのは聞いたことがなく、珍しいものです。(ことばとしてあまり認識されていないのでは・・・・・・・・) でっ、この忠猫の碑が横手市にあります。場所は旧平鹿町の浅舞公園。碑にはメス猫のレリーフと忠猫の文字が刻まれています。

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 平鹿郡浅舞村の伊勢多右衛門(1833-1914)は慈善家として知られていた。

 凶作などの時、困窮した民衆を救うため感恩講を組織し、倉庫に米を備蓄した。また、人々に憩いの場を提供するため、私財を投じて浅舞公園の工事にかかった。だが、野ねずみが大量に発生し、倉庫の米を食いあさり、公園の樹木や側溝、堤までも破損させた。多右衛門は深く狼狽えた。すると多右衛門が飼っていたメス猫が、主人の願いをくんでネズミを退治した。

 1907(明治20)年2月15日、猫は13歳で亡くなるまで、日夜 ネズミ退治に明け暮れた。こうして民衆のいのちを守る感恩講の米は守られ、浅舞公園も完成した。多右衛門は世にも稀な、この忠義な猫の功績を後世に末永く伝えたくて、ここに碑を建立したのだった。 (現地の説明板から)


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首塚神社 [地域探訪]

 首塚と書いて「こうべずか」と読みます。場所は横手市雄物川町今宿にあります。

image30024.jpg首塚神社

 伝承によると延暦年間(782-806年)、坂上田村麻呂が討ち取った蝦夷の首級千あまりを埋葬した塚とされ、その後 源義家が「後三年の役」の戦死者の首級890を塚に埋葬し、社殿を建立したと伝えられます。実際、神社は塚の上に鎮座しています。また社殿にはここから出土した人頭の形の石が安置され、これを拝むと頭の諸々の病気に効くとされます。

 なお神社から北西1300mには藤原清衡・源義家連合軍が清原家衡に惨敗を喫したと伝えられる「沼の柵」(擬定地)があります。


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北金ヶ沢の古碑群 [地域探訪]

 先日、久々に津軽を歩いてきました。でっ、今日 紹介するのは西津軽の北金ヶ沢に残る古碑群です。古碑は北金ヶ沢周辺にあったものを集約したもので、全部で22基あります。このうち年号のハッキリしている8基の古碑に刻まれている年号は康永・康安・貞治・応安・康応など北朝暦が使用されており、これらの古碑は北朝方に加担した勢力(十三安藤氏関連)の供養碑・墓碑だったのでしょう。

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